“あの超有名人物”も関係する?香川県・法然寺

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グルメ寺社歴史上の人物
法然寺・来迎堂に向かう境内

今回は、香川県高松市仏生山(ぶっしょうざん)町にある
法然寺(ほうねんじ)」をご紹介させていただきます。

法然寺の説明書

法然寺とはその名の通り、鎌倉時代に民衆の心を掴んだ名僧・法然(ほうねん)に由縁があります。

1207年、後鳥羽上皇(鎌倉殿の13人では尾上松也さんが熱演)は民衆に支持されている念仏宗が国家体制を揺るがしかねないとして危険視し、法然を土佐国へ流罪にします。

壮大な迫力で恐怖感を感じる法然寺・仁王門の金剛力士像(「阿形(あぎょう)」と「吽形(うんぎょう)」)

他にも浄土真宗の開祖・親鸞も越後国へ流罪になりました。
この政変を「承元の法難(じょうげんのほうなん)」と言います。

しかし、法然は朝廷の信頼も厚く、関白の九条兼実(鎌倉殿の13人ではココリコ・田中直樹さんが熱演)は法然を庇護し、九条家領地の讃岐国に留まらせます。法然は10ヶ月ほど讃岐国に滞在しました。

法然寺五重塔

それから法然は赦免され、大阪・箕面市の勝尾寺に行きますが、この435年後に法然が滞在した生福寺を再興させようとした人物がいました。

その人物は、讃岐高松初代藩主・松平頼重(まつだいらよりしげ)です。
なんと、水戸黄門のモデルとなった徳川(水戸)光圀の同母兄が頼重です。

頼重公は法然上人の徳を慕って松平家の菩提寺を生福寺に定め、法然寺と改名させて再興しました。
地元で活躍された先人の想いを大切にされる松平頼重公はなんだか素敵ですね。

頼重公は、地場産業にも力を入れ、法然寺がある仏生山町の門前町に製麺業者を奨励し、本格手打ち讃岐うどんを発展させました。
そして、香川県ではコンビニよりも数が多い日本を代表する「讃岐うどん」が誕生しました。

頼重公の力は絶大ですね。民衆の心を掴んだ法然・松平頼重と香川県も由緒がありますね。

ちなみに法然寺では頼重公が力を入れた本格的な讃岐うどんが味わえる名店があります。

「本格手打ちさぬきうどん 竜雲」さんでは歴史を承継すべくここ法然寺で修行をされ、その場で本格的なさぬきうどんを味わうことができます。

もちもちでとても太い讃岐うどんの麺
本格的な讃岐うどんが味わえます。

モチモチでコシのある麺はまさに食べ応えあり!本当に美味しいです。
松平頼重と法然、時代は異なっても2人が残したものは今なお、地元・観光客の方に愛されています。

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