源頼朝の本拠地・鎌倉幕府跡

地名の由来
地名の由来歴史上の人物自然
大倉幕府跡地の石碑

今回は、鎌倉幕府を開いた源頼朝が政務を行なっていた地である「鎌倉(大倉)幕府跡」をご紹介させていただきます。

なお、この地は相模国鎌倉大倉郷だったため、大倉幕府とも呼ばれました。

1180年(治承4年)から1219年(承久元年)までの39年間、歴代の3代鎌倉殿(頼朝、頼家、実朝)の御所であり、侍所や問注所、公文所などを整備しました。

当初は、父である源義朝の邸があったという亀ヶ谷の旧跡(現在の寿福寺辺り)に御所を建てる予定だったが、御家人・岡崎義実によって義朝の菩提を弔うための堂宇が建てられていたことや、土地が狭かったため大倉の地を幕府の拠点として選定したと言われています。

また、先祖である河内源氏二代目棟梁・源(伊予守)頼義が、この地に住んでいたことから肖ったとの由縁もあります(頼義は平直方から大倉の屋敷を譲り受けていました)。

最初に「侍所」が設置され、和田義盛が別当に就任し、1184年(元暦元年)には「公文所」と「問注所」が設置され、公文所別当には毛利氏の祖・大江広元が、問注所執事には三善康信がそれぞれ就任しました。

武家政権誕生を支えた鎌倉幕府跡は、現在は住宅街の中にひっそりと佇んでいます。
近くには頼朝の墓もあり、地域住民の方々に見守られています。

近くの小学生が研究して書いたと思われる説明書。簡潔で非常にわかりやすい。

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