激突!!麁原元寇合戦!(日本軍VSモンゴル軍)

合戦
合戦

今回は、鎌倉時代に起きた「元寇(文永の役)」について解説していきたいと思います。

時は鎌倉時代に元軍は、日本が再三の外交要請にも関わらず、黙殺し続けたことから、
痺れを切らしとうとう攻め込むという暴挙に出ました。

文永11(1274)年10月、高麗軍を主力とする元軍はまず対馬・壱岐に攻め込み、その後能古島・博多へと兵を進めました。
今津から百道原(ももちばる)に上陸し、麁原・鳥飼・赤坂の一帯は戦闘の場となりました。

少弐景資・肥後の菊池武房・竹崎五郎季長らがこれを迎え討ち、元軍は圧倒的な気迫を前に、
元軍は船に引き上げながら戦力を失いました。

その最中、元軍がここ麁原山を拠点にし、体勢を立て直そうとしました。
しかし、戦況は悪化するばかりで日本の「てつはう」などで苦しみながら、高麗(中国)へ引き返していきました。

福岡にも昔を感じさせる場所がまだあるんですね。

皆様も歴史を感じてみてはいかがでしょうか。

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