日本新三大夜景の都市・北九州市(皿倉山)

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皿倉山(山頂)から眺めた北九州市の夜景

今回、ご紹介させていただきますのが「※日本新三大夜景」の1つに選ばれた北九州市の皿倉山です。
※日本新三大夜景とは、北九州市・札幌市・長崎市の3都市のこと。

北九州市は見事ランキング1位に選ばれ、名実ともに日本を代表する夜景都市であります。
現住所は、福岡県北九州市八幡東区尾倉にあり、標高は622mです。

皿倉山の由来が書かれている石碑

気になる由来ですが、神功皇后との関わりが読み取れます。
以前の武雄温泉や御船山の回でもご紹介させていただきましたが、九州には神功皇后の伝説が各地にあり、この皿倉山も神功皇后伝説があります。

私の考察では、神功皇后は卑弥呼のことであると思っておりまして、弥生時代の日本は文書など存在せず、記録も残っていないため、中国大陸の文書を頼るしかありません。

諸葛孔明や劉備が活躍した、三国時代の曹操が建国した「魏国」の文書で邪馬壹国の女王・神功皇后のことを蔑んで卑弥呼と名付けたから現在の歴史で習う卑弥呼(神功皇后)が登場するわけです。

話は逸れましたが、この皿倉山は神功皇后(卑弥呼)が三韓征伐の後、この山を登った時に「更に暮れたり」と言われたことから「皿暗山」→「皿倉山」になったと言われています。

神功皇后の影響力は、九州では絶大ですね。やはり、邪馬壹国との関係があるとしか思えません。

八幡・黒崎・若松方面の夜景

ちなみに足利尊氏(北朝)vs後醍醐天皇が対立した南北朝の騒乱でもこの皿倉山が舞台になり、
室町幕府の3代将軍・足利義満の時代に九州では南朝の勢いが強かったため、九州探題に※今川了俊を任命して送り込み、太宰府を拠点とする南朝の懐良親王の軍勢を打ち破り、ついには攻略しました。
※戦国期の桶狭間の戦いの折、信長に敗れた今川義元の先祖。了俊は後に力を持ちすぎたため、恐れた義満は九州探題の職を剥奪し、駿河・遠江国に移封させた。この領土が今川義元の代にまで継承される。

小倉・門司・下関方面の夜景
山頂には「天空ドーム」と言われる恋人の聖地もある。

私の率直な感想は、「本当に夜景が綺麗すぎて見入ってしまう!」
皆様もぜひ、北九州へ足をお運びになられた際は、日本屈指の夜景を味わってみてください。

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