福岡市中央区の地名由来について

地名の由来
地名の由来
福岡県を代表する博多駅

今回は、日本で五大都市の一角を担う「福岡県」の中でも、
福岡市中央区の地名由来をご紹介させていただきます。

福岡県に限らない話ですが、九州には独特な地名や難読地名などたくさんあります。

それは、古代に九州が大陸との距離的な近さから日本の先進文化都市として独自に発展してきた経緯に由来します。

いずれは九州の様々な県の地名由来などをご紹介させていただこうと思います。

福岡市中央区の地名

博多駅

警固(けご)…文永の役の後、元軍の再襲来に備えて設置した異国警護番役に由来。

赤坂(あかさか)…大休山(南公園)から赤坂山(福岡城)までは丘陵地帯(福崎丘陵)であり、かつては東の冷泉津と西の草香江とを隔てる半島であった。大休山と赤坂山の間の鞍部に当たり、冷泉津から草香江へ通じる赤土の坂があったことから「赤坂」と呼ばれたとのこと。

大名 (だいみょう)…江戸時代に、福岡城の内堀に面して家老や大組など藩政の重臣たちが居住しており、大組に相当する家臣を「大名」と呼んでいたことに由来する。

天神 (てんじん)…江戸時代に遷宮された天神様(菅原道真公)を祀る水鏡天満宮に由来する。道真公は太宰府に左遷される道中で博多に上陸した際、今泉にある四十川(道真は「死時有川」と表現、現在の薬院新川)の水面に自分の姿を映し、水面に映る自身のやつれた姿をみて嘆き悲しんだとされ、これにちなんで庄村(現在の中央区今泉)に社殿が建造され「水鏡天神(すいきょうてんじん)」「容見天神(すがたみてんじん)」と呼ばれた。

渡辺通り(わたなべどおり)…博多の呉服商の三代目として生まれ、明治後期に福岡で活躍した渡邊與八郎(わたなべよはちろう)が由来。與八郎は家業を発展させる一方で、今日の福岡の発展につながるさまざまな事業に私費を投じて貢献したことからその名が付けられたとのこと。

六本松(ろっぽんまつ)…江戸時代、福岡城の城下町に近いことを示す目印になっていた6本の松に由来する。

鳥飼(とりかい)…古くは大和王権の黎明期に、この地域の支配氏族として、「神功皇后、三韓征伐より帰朝の時、御餞を奉りし鳥飼氏」とされる「鳥飼」氏族の存在があった。鳥を飼育し、朝廷などに献上した大化前代の品部のひとつ「鳥飼部」は、草香江西岸に在ったとされる鳥飼八幡宮(現・埴安神社)を奉祭し、その境内の黒殿社に「武内宿禰」とともに氏族の始祖、「鳥飼黒主」を祀っていた。

今川(いまがわ)…かつて草香江のあたりで博多湾の入江に通じていた樋井川の流れを、福岡城築城の際に西に導いて現在の川の流れにしたことから今の川、今川と呼ぶようになりました。(個人的には室町時代の九州探題・今川了俊(貞世)に由来するのだと考えていましたが、特に関係はなさそうです。)

このように福岡を代表する地名は、歴史と多く結びついていて調べるととても勉強になりますね。

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